お墓となったその石は、
故人の魂が吹き込まれるほどに、
優しさを纏っていきます。
さらに、
今を生きる私たちが
故人に祈りを運ぶほどに、
その石は子孫を護っていく
強さを帯びていきます。
そして、その石はついには、
先祖代々・子々孫々の
魂の家と呼ぶに相応しい
磐石さを醸し出していく。
喜び、悲しみ、忘れようのない愛しき時間、
素晴らしい日々。
そのすべてが
静かに磐石におさまっていく道程。
私たち須藤石材は、
お墓づくりの流れの中で、
それを何度も目にしてきました。
その石の名前は、稲田石。
茨城県笠間市にある石切山脈。
この山で採石されてきた石をそう呼びます。
明治32年、中野組石材工業が、
採石場として開きました。
その山から切り出され、
磨きあげられた良質で美しい石は、
「日本一白い石」と
各方面で評されてきました。
6,500万年前に生成、
世界で最も若い御影石と言われ、
経年変化が殆ど無いという石材です。
かつてなかったほどの国力の成長を夢見る、
激動の時代。
稲田石は、首都・東京の
グランドデザインの
中心的建築素材として活躍。
東京駅、日本橋、国会議事堂、
最高裁判所、東京證券取引所、
都電の敷石等の都市の根幹を為す
建築物に採用され、
その後の日本の飛躍的成長を
支えてきました。
そして、稲田石は、
社寺・鳥居、墓石・石碑の素材としても
永く愛されてきました。
時を重ねるほどに、優しく、強く、
相応しくなっていく。
稲田石には、そんな力が宿っている。
私たち須藤石材は、そう確信しています。
その中野組石材工業の
全スピリッツを受け継ぎ
設立されたのが、株式会社想石。
理屈を超えた、稲田石に宿る力を自覚され、
その使命を感得された故の
社名なのかもしれません。
国内採石、国内加工にこだわる
想石様の稲田石は、
国外要素が強まったこの時代において、
ますます輝きを放っています。
中野組石材工業時代から貫く
その経営姿勢は、
とても旧くて、でも、
今、とても新しいと感じるトレンド。
コロナ後の新たな人類の進化の時代を迎える
今だからこそ、
私たち須藤石材は、
想石様のような同志とともに、
お墓づくりは
原点回帰をしていかなければならないと
考えています。
旧くて新しい、普遍へ。
その白く美しい石は、唯一無二の、
あなたとあなたにつながる人達の
人生との邂逅の瞬間を、
太古の昔からずっと待ち続けています。
東京駅
日本橋
最高裁判所
東京証券取引所
国会議事堂
MADE IN JAPAN
フェアでご紹介の稲田石は、
全て国内加工し、
稲田石の特徴を最大限活かし
デザインしました。
また、従来の稲田石の価格よりも
お求めやすくなっております。
※詳しくは、お問い合わせください。
稲田石+ガラス+インド黒
稲田石+インド黒
稲田石+クンナム
稲田石+クンナム
稲田石+クンナム
「石切山脈」と呼ばれる山地一帯は、東西約10km、南北約5km、地下1.5kmに及ぶ岩石帯で、明治32年から100年以上続く「稲田石」の日本最大級の採掘現場です。
ここから採掘される「稲田石」は、約6,000万年前に海底深くで長い時間をかけ冷えて固まった花崗岩の一種で、世界でも類を見ない際立った白さから別名「白い貴婦人」とも呼ばれています。
美しい光沢と優れた耐久性を兼ね備えているため、日本橋や東京駅、国会議事堂、最高裁判所など 、全国有数の歴史的建造物に使用されてきました。
現在は使われていない採掘場跡「前山採石場」地下65メートルまで採掘後、岩の割れ目に溜まった湧き水や雨水によりまるで「古代遺跡のような景観」、「地図にない湖」などと呼ばれ、素晴らしい絶景になっています。
稲田石は、白御影石と呼ばれるように白く澄んだ岩肌と、均整の取れた石目、新鮮で耐久性に優れているのが特徴です。
花崗岩は「ごま塩石」と呼ばれることがあるように、主に石英(薄い灰色)、長石(白色)、黒雲母(黒色)の三つの鉱物により構成されています。
その中でも稲田石は、長石が60%強を占めているので、白く美しい色調になります。
稲田石を使った石畳の上で「石切山脈」の絶景を眺めながら、笠間名産の栗をぜいたくに使用したモンブランを味わうことができます。
プレミアムツアー(1,000円(入場料別)/要予約)は、現在も採石を続けている大迫力の採掘現場を、専用ガイドが車でご案内する約1時間のコースとなります。
岩山の悪路を駆け上りながら、⼀般非公開の掘削シーンや大型重機の掘採作業を眼前で披露するほか、ミュージックビデオの撮影現場にもなった絶景広がる岩壁にもご案内します。